事務所ニュース [2016年6月号]

介護にあたる家族への最高裁のメッセージは?

~ 家族の監督責任をめぐる最高裁逆転判決の意義 ~

 

1 介護する家族への賠償命令を逆転

 認知症の男性が徘徊して線路に立ち入ってしまい、電車にはねられて亡くなったという事故で、その認知症の人の家族が、鉄道会社から振替輸送などの費用について賠償を求められ、裁判を起こされました。その裁判で、地方裁判所と高等裁判所は、家族が「監督義務」を怠っていたとして家族に賠償を命じましたが、このたび(2016年3月1日)、最高裁判所は、家族に賠償責任はないとする逆転判決を下しました。

 この裁判の件については、認知症になった親や配偶者を介護する人が増える中、社会に与える影響が非常に大きいことからマスコミでも大きく報道され、最高裁がどのような判断を示すのか、判決前から注目されていました。

 今回の最高裁判決は、民法が定める家族間の監督責任について、時代状況の変化を踏まえ、従来からの裁判所の考え方を大きく転換させたものとして評価できます。

 

2 監督責任についてのこれまでの考え方

 民事の基本法である民法では、故意や過失によって他人に損害を与えた場合は、その損害の賠償責任を負うのが原則ですが、未成年者や「責任無能力者」は責任を負わないと定められています。「責任無能力」というのは、難しい法律用語ですが、認知症などの精神上の障害のために状況を理解できなかったり、自らの行為をコントロールできない状態のことをいいます。しかし、そうすると被害者の救済に欠けることになるため、民法はその反面として、損害の公平な分担という考え方に基づいて、未成年者についてはその親が、「責任無能力者」については「法定の監督義務者」が、それぞれ監督責任を負うものと定めています。そして、「責任無能力者」の「法定の監督義務者」としては、これまで、成年後見人等がそれに該当するものとされてきました。

  しかし、成年後見人というのは、本人の親族などが家庭裁判所に申立の手続をして初めて選任されるものであり、本人に精神上の障害があるからといって、必ずしも成年後見人が選任されているわけではありません。むしろ、実際には、成年後見人が選任されているのは、精神上の障害がある人の中のごく一部であるというのが実情です。

 そのため、裁判所は、成年後見人等のような「法定の監督義務者」でなくとも、家族の中でそれに準ずる立場にある者は、監督責任を負うべきだとして、監督義務者の範囲を広げてきました。

 今回の裁判でも、認知症の男性には成年後見人は選任されていませんでしたが、地裁や高裁は、男性の妻や長男を「法定の監督義務者」に準ずる立場にあったとして、賠償を命じたのです。

 

3 監督義務者についての考え方を根本的に転換

(1)成年後見人≠「法定の監督義務者」

  これに対し、最高裁は、「法定の監督義務者」についてのこれまでの考え方や議論の方向を根本的に転換し、新しい判断を示しました。

 「責任無能力者」の監督責任については、これまでは、成年後見人等は「法定の監督義務者」になるということを前提に、監督義務者の範囲を広げる方向で議論がなされてきましたが、今回の最高裁判決は、成年後見人であるからといって「法定の監督義務者」になるわけではないとして、これまで前提とされてきた考え方自体を改めたのです。

(2)転換の背景 

 最高裁がこのように考え方を改めた背景には、成年後見制度が2000年に改正されたことにより、制度の理念やあり方が大きく変化していることがあります。

 ① 「ノーマライゼーション」の理念

 改正前の成年後見制度は、「禁治産制度」と呼ばれ、もともとは、旧来の家制度のもとで、本人の財産管理権を制限することにより、家の財産を守ろうとするための制度でした。しかし、現在の成年後見制度は、制度の根本理念自体が大きく異なっていて、「本人の自己決定の尊重」や「ノーマライゼーション」の考え方を基本理念としています。「ノーマライゼーション」というのは、障害があるからといって施設等に収容され、社会から隔離されて生活させられるのではなく、障害があっても、障害のない人と同じように暮らすことができる社会の実現を目指すという理念です。この理念は、成年後見制度の基本理念であるだけでなく、厚生労働省が現在推進している国としての施策のもとになっている考え方でもあります。

 認知症の人の行為について家族が責任を負わされるとなれば、家族としては、認知症になった親や配偶者は家や施設の中に閉じ込め、監禁しておくほかない、ということにもなりかねません。しかし、そのようなことは、成年後見制度が掲げる「ノーマライゼーション」の理念に真っ向から反することになります。

  ② 「家族介護」の時代から「社会全体で介護を支える」時代へ

 また、2000年に成年後見制度が改正された際、ちょうど時を同じくして、介護保険の制度が始まりました。介護保険制度は、少子高齢化の進展により、独居あるいは夫婦のみで暮らす高齢者が増えてきた中で、それまでの「家族介護」の時代から、「社会全体で介護を支える」時代へと社会が移り変わったことを象徴する制度と言えます。そのことは、成年後見制度や成年後見人の職務のあり方にも様々な面で反映していて、例えば、それまでは、

成年後見人には本人の介護などの世話をする義務があるとされていましたが、

2000年の改正後は、成年後見人は自ら直接に介護などの世話をするのではなく、ヘルパーなどの介護サービスの手配をするのが役割だとされています。

 成年後見人が「責任無能力者」の行為について責任を負うとされてきたのは、成年後見人はその家族である「責任無能力者」と同居していて、「責任無能力者」を監督できる立場にあるという前提があったためですが、現在では、その前提とされていた制度や社会状況自体が大きく変化しているのです。

 

4 最高裁判決のメッセージ

 このように、最高裁は、成年後見人等であれば「法定の監督義務者」に該当し、監督責任を負うという従来の考え方を根本的に転換しました。

 そして、そのうえで、「責任無能力者」の行為について家族や近親者らが監督責任を負うかどうかは、その事案における様々な事情を総合的に考慮しつつ、責任を問うのが衡平の見地から相当と言えるかどうかを基準に判断すべきものとしました。

 この基準だけでは、具体的にどのような場合に責任を負うのかは必ずしも明確ではありませんが、最高裁は、今回の裁判の事案で、妻や長男は責任を負わないという結論を導くにあたり、その理由として、妻も長男も、本人(認知症の男性)の加害行為を防止するために監督することが可能な状況にはなかった、ということを挙げています。この事案では、妻は本人と同居しており、長男は同居はしていないものの本人の介護のための体制作りに中心的に関わっていましたが、それでも、加害行為の防止のために監督することは可能でなかったとされました。

 このことからすると、今回の最高裁判決により、今後は、「責任無能力者」の加害行為について、家族や近親者であったり、その人の介護をしていたからといって監督責任を問われることは通常はなく、家族や近親者が監督責任を問われるのは、何か特別な事情があるような例外的な場合に限られてくると考えられます。

 日本の社会は、今や「認知症800万人時代」を迎えたとも言われます。

 そのような中で、今回の最高裁判決は、認知症の人を介護する家族に対し、「安心して介護にあたってください」というメッセージを発しているように思われます。

(弁護士 高江俊名)


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