2005年7月の福知山線脱線事故で、JR西日本の歴代社長3人が業務上過失致死傷罪で起訴されることになりました。検察庁は、鉄道本部長だけを起訴し、歴代社長については、「安全対策の権限を鉄道本部長に委ね、カーブが危険だという認識がなかった」として、不起訴としていました。これに対して、神戸の検察審査会は、3月26日、「危険性を認識していなかったとは考えられず、最優先に自動列車停止装置(ATS)を整備すべき義務を怠った」と結論づけ、起訴するよう議決しました。
検察審査会は、戦後、民意を反映させるためにできた制度ですが、決定に強制力がなく、その点で不十分でした。この度の司法改革は、国民の司法への参加が重要な柱で、「裁判員制度」が最たるものですが、同じ目的で検察審査会が強化されました。起訴すべきとの議決を2度すると、裁判所が指定した検察官役の弁護士が起訴することになりました。兵庫県明石市の歩道橋事故に続き、2例目です。
検察幹部は「審査ではなく、歴代社長を無理やり法廷に引きづりだそうとしている」と語ったと、新聞に出ていました。確かに、現在は起訴は抑制的で、無罪になる可能性がある事件は起訴していません。その結果、判決で有罪になる率は99%を超えます。しかし、検察官にしか起訴の権限がありませんので、公害事件や贈収賄事件で、市民から見れば起訴されてもよいのではと思う事件でも、起訴されないということがありました。
外国では、検察官以外にも起訴の権限を認めています。たとえば、アメリカでは、市民から選ばれた大陪審が起訴を決めることができます。イギリスでは、すべての人に起訴の権限を認め、フランスでは、被害者に起訴の権限を認めています。
昨日は、足利事件の冤罪被害者である菅家利和さんに無罪判決が出ました。庶民が、誤って起訴されるようなことがないように、起訴は慎重であるべきですが、他方で、これまでの検察は、ややもすると政治家や大企業などに対して甘いのではないかという意見があります。議員秘書や部下だけが処罰されることは、しばしばです。
私は、検察審査会が、部下に責任をなすりつけることは認めないという市民感覚で結論を出した点に大きな意義があると思います。この件が最終的に有罪になるか無罪になるかは、これから裁判で明らかになりますが、権力を持つ側に問題があっても、これまでならうやむやにされた事件が、これからは公開の場できちんと審理されることが増えると思われます。装いを新たにした検察審査会の面目は躍如たるものがあり、司法改革の成果が実を結びつつあると思いました。(松森 彬)