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長官の挨拶・談話にみる最高裁の考え方

1 長官・所長会同における長官挨拶
 裁判所ウェブサイトに、2024年6月19日に行われた高裁長官・地家裁所長の会同における最高裁長官の挨拶が掲載されました。URLは、下記のとおりです。
https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/2024/soumu/060619aisatsu.pdf
 戸倉三郎長官は、挨拶で、何度も「審理の合理化、効率化、迅速化」のことばを使っています。それが利用者のためになるという説明もありますが、裁判官のワークライフバランスを考慮するためとの説明もあり、裁判所・裁判官の負担軽減のねらいもあるようです。
 私が違和感を覚えたのは、裁判所の役割として「裁判所の紛争解決機能」という言葉が繰り返し使われ、裁判所の本来の役割である「国民の権利を守る・実現する」という言葉が一言も出てこないことです。

2 他の挨拶・談話
 戸倉長官の今年1月5日の「新年のことば」と5月3日の「憲法記念日を迎えるにあたって」という談話も見てみました。最高裁のホームページのお知らせ欄に掲載されています。URLは、下記のとおりです。https://www.courts.go.jp/news/index.html
 これらの長官のことばや談話でも、裁判所の役割として「紛争解決」のことばが再三使われていますが、「国民の権利を守る・実現する」という言葉は一切出てきません。
 さらに、新年のことばでは「事務の負担の軽減」をはかるという言葉が出ています。

3 最高裁の考え方
 戸倉三郎長官は、司法研修所34期で、主に刑事裁判を担当してこられたようです。2年前の2022年6月に最高裁長官に就任されました。
 私は、これらの長官挨拶・談話に、最高裁の今の姿勢、考え方が垣間見えると思います。

 最近、裁判官の退職者が増えており、他方、司法修習生の裁判官希望者は減っています。そのため、裁判所は裁判官の定員を充足できず、2022年には定員を減らしました。最高裁は、効率化、迅速化によって事件を処理し、裁判官の負担を軽減しようとしているようです。
 長官の挨拶・談話は、裁判所の使命として、裁判所の紛争解決機能とだけ言い、人々の権利の保障あるいは実現であることを言いませんが、民事事件だけでなく、刑事事件なども含んでの裁判所の扱う全体の事件についても、人々の権利の保護・実現は重要です。
 特に、日本には、民事訴訟の目的を紛争の解決であるとする独自の学説があり、その考え方が裁判所に影響していると考えられます。しかし、紛争の解決は、示談でも、調停でも、仲裁でも目的を達することですので、紛争の解決を訴訟制度の本来の目的というのは適切でありません。
   民事訴訟制度の目的は、憲法や私法が定めている人々の権利の実現であるとするのがドイツの通説です。日本では紛争解決が目的であるとする説が兼子一・東大教授によって提唱され、裁判所に受け入れられているようです。民事訴訟制度の目的は、人々の権利を保護し、実現するためのものであるとする考え方が、戦前は、ドイツでも日本でも通説でした。しかし、第二次大戦の前、ドイツで、権利保護説は私人の権利意識を過剰に国家制度に反映させるものであるとして批判され、民事訴訟は国の定める私法秩序を維持するためのものであるとする私法秩序維持説が出てきました。私法秩序維持説は、全体主義を標榜するナチスの国家観と照応したこともあって次第に有力になり、日本でも、兼子一教授らが私法秩序維持説を支持しました。戦後、ドイツでは再び権利保護説が通説になりました。兼子一教授は、戦後、私法秩序維持説は誤りだとしましたが、自身がいったん否定した権利保護説は支持せず、新たに、紛争の解決が民事訴訟の目的であるとする独自の紛争解決説を提唱しました。紛争解決説に対しては、他の民事訴訟法学者からの批判も多いのですが、兼子教授の門下の学者を中心にその後も支持する学者が少なくありません。

 今の最高裁のホームページにおける民事訴訟の説明は、「民事訴訟手続は、個人の間の法的な紛争、主として財産権に関する紛争を、裁判官が当事者双方の言い分を聞いたり、証拠を調べたりした後に、判決をすることによって、紛争の解決を図る手続です。」となっています。権利を確定するとか、実現するといったことばはありません。紛争解決説が裁判所に影響していると考えられます。
 紛争解決説は、訴訟は私法ができる前からあったという考え方に立ち(近代法がなかった古代の訴訟と近代法の訴訟制度を同じように扱う必要はないと思われますが)、民事訴訟の目的はいわば前法律的な要請である紛争の解決であるとし、私法が定めている権利を実現するという考え方を採りません。そこで、紛争解決説では、民事訴訟の権利の保護・実現という目的(果たすべき役割)が見失われるか、少なくとも弱くなってしまいます。私は、紛争解決説は単に誤っているだけでなくて、この考え方で民事訴訟制度を運営すると民事訴訟のあり方に弊害を及ぼすと思います。

 最近の民事訴訟法学では、民事訴訟の目的についての議論は棚上げにしようという意見も出ています。しかし、民事訴訟の目的をどう捉えるかは、最近の最高裁の動きに見られるように、実際に民事訴訟のあり方に影響しますから、棚上げにするのは適切でないと思います。弁護士などの実務家も議論に参加して、民事訴訟法学において、民事訴訟制度の目的は権利の実現であるとする考え方を確立する必要があります。 

4 裁判所の役割は人々の権利と自由を守ること
 ちなみに、「政府広報オンライン」では、下記のとおり、裁判所の役割は、国民の権利、自由を守ることであると憲法に基づいた説明をしています。
  「『裁判所』の仕事を見に行こう!公平な裁判を通じて国民の権利と自由を守ります。」、「裁判や裁判所は、自分の生活とはあまり関係がないと思っていませんか。裁判所は、公平な裁判を通じて、憲法で保障されている私たちの権利や自由を守る、大切な役割を担っています。」
 URLは、下記のとおりです。
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201404/2.html
   この記事の末尾には、「(取材協力 最高裁判所 文責 政府広報オンライン)」と書かれていますので、最高裁の意見であるようです。日々の訴訟も、裁判所のこの役割を果たすために行われることが必要です。長官が裁判官に対する挨拶や談話で、裁判所の基本的な役割に触れないのでは、個々の裁判官の使命感を共有することにならず、むしろ基本的な役割を重視していないことを示す結果にならないかと危惧されます。

5 知人の弁護士の感想
 知人の弁護士も、長官の6月の挨拶を読んで、私と同じ感想を持ったそうです。その弁護士が、アメリカに視察に行ったときのエピソードを聞かせてくれました。アメリカの裁判所の高官と話したとき、「日本の裁判官や弁護士は、裁判を早くするということだけをいつも言うが、真実の解明、審理を十分に行うという裁判制度の本来の目的をどう理解しているのか」という質問を受けたそうです。

6 まとめ
 民事訴訟においては、無駄をなくし、関係者が迅速に進めることも大事ですが、十分な審理をして事実を解明することが不可欠です。
 最高裁は、数年前、主張や証拠を制限した簡易な訴訟制度と、和解を事実上強制することになりかねない和解に代わる決定を提案しました。国会でも反対意見が出ましたが、前者の簡易な訴訟の提案は、審理期間を限定した「法定審理期間訴訟手続」として制度化されました。
 長官の挨拶や談話でも、裁判官の増員などの方策ではなく、現場の裁判官の尻をたたき、処理の効率化だけを求めようとしているように思えます。しかし、それでは、日本の民事訴訟は事実の解明には力を入れず、和解を強要することになりかねず、近代民事訴訟の本来の姿から離れて行ってしまいます。
 日本の司法は、今、「司法の役割」、「民事訴訟制度の目的」、「訴訟当事者の権利」の3点について国民と法律家の間で確認することが求められていると思います。これらの点を踏まえて、ふだんの訴訟を丁寧で親切なものにして利用者の納得が得られるものにするとともに、裁判官の選任制度を法曹一元制度にする、裁判官を増員する、証拠収集手続を充実するなどの制度改革を進める必要があると思います。(2024年7月15日 弁護士 松森 彬)