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好ましい司法を実現する方策(アメリカの試み)

アメリカ北東部にマサチューセッツ州があります。州都はボストンで、州の人口は約600万人です。マサチューセッツ州の裁判所は、30年前のことですが、1992年に創設300年を迎えるのを記念して、将来の好ましい裁判制度を展望し、それに到達する方策を作るため、裁判官、学者、政財界、労働界、社会活動家など44人による諮問委員会を設けたそうです。

この委員会は、州民500人に行ったアンケートも資料として、1992年5月に「正義の再生2022」という報告書を発表しました。当時、同州で在外研究をされていた佐藤陽一判事(現在弁護士)がかつて書かれた論文で紹介されています(「アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)における民事紛争処理制度上の諸問題」314頁〔「木川統一郎博士古稀祝賀民事裁判の充実と促進」所収〕)。

日本でも、このような展望と方策の議論ができないだろうかと思い、30年前の報告書ですが紹介させていただきます。なお、日本の裁判所ができたのは1872年(明治5年)ですから、アメリカよりもかなり遅く、今年(2024年)で152年です。

報告書は、「展望」と題して、30年先の好ましい司法像を次のように言っています。「裁判所は、社会の生み出す病に対して解決を希求するすべての人々の良き伴侶となり、正義を求めて旅立つあらゆる人々に対して助力をおしまない」。そして、それにより「公衆は、裁判所に対して深い信頼と支持を寄せるであろう。」。

ただ、うまくいかない場合の未来像も「悪夢」と題して描いています。「司法制度は構造的に二分し、大衆部門は貧しい者やその他犯罪者のためにのみあり、長期間無視され、不十分な予算しか与えられていない。中下流階層のための民事訴訟は無いに等しく、裁判官は低報酬、過労で尊敬もされておらず、襲撃を受けることもしばしばである。これに対し、富める者、権力のある者などの上層階層に奉仕するために、えりすぐられた最善の私的裁判制度が発達している。公衆の司法に対する信頼は地に堕ちて、陪審員となる義務を回避する傾向が広範囲に及び、このため陪審制度はもはや司法制度の中で重要な役割を果たすことがなくなっている。弁護士報酬は分単位で計算され、訴訟当事者は適正手続を無視して判決手続を猛進する。真の正義は稀であり、しかも高価につく。」

報告書は、好ましい司法像を実現するために次のような方策を提言しています。

第1に、利用者に向けられた司法の実現を謳っています。アンケート結果によると、500人のうち63%の州民が、裁判所に勤務する人々が公衆の利益よりも自分たちの給料と待遇に深い関心を寄せていると感じていると答えたようです。そこで、報告書は、裁判所を「利用者第一」とすることを求めています。その方策として、週末や夕方の開廷、裁判所内の受付や案内者の設置、裁判所利用者のための保育施設その他施設の拡充を指摘しています。

第2に、調停などの拡大です。消費者紛争などは金額が少ないこともあり、裁判よりも調停を選択したいという意見が多いようです。

第3に、司法は公平であることが大事であるとして、外国人など少数者への配慮を求めています。

第4に、裁判官に対して、受け身ではなく、当事者と対話し、相互の意思疎通を図る裁判官像を求めています。

第5に、すべての人において正義が実現することを求めています。そのために、公的扶助制度の拡充を求めています。高齢者の増加、新しい科学、技術による問題、地球規模での環境問題など、先例のない分野での紛争が予想され、裁判官は、科学者とともに活動し、あるいは専門化した審理が必要になるかもしれないと予想しています。

私もアメリカの裁判所や弁護士の事務所を2度視察してきました。アメリカの裁判官は全員が弁護士から選ばれ、陪審制度もあり、人々と裁判所の距離は日本よりももっと近く感じます。アメリカでは、人々の裁判所に対する期待は大きく、日本よりも裁判所が利用されることがはるかに多いのですが、それでも、前記のような改善が必要であると考えられているようです。

2022年は既に到来していますが、おそらく、関係者の努力もあり、前記の「悪夢」にはなっていないと思います。このような取り組みは、司法において何が大事であるかを確認し、そのために必要な方策を提案することができます。日本でも、今から30年先の司法像を描き、それを実現する方策を議論してはどうかと思います。(弁護士松森 彬)