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江戸時代は直訴すると死刑(郡上一揆)

夏休みに岐阜県の郡上八幡(ぐじょうはちまん)に行ってきました。郡上おどりで有名なところです。1ヶ月間毎晩おどりがあり、行った晩も老若男女が楽しんでおられました。

郡上八幡では、江戸時代、大きな一揆があったことを知りました。映画にもなったようですが、教育委員会が150円で冊子(郡上藩宝暦騒動)を作っておられたので買ってきました。当時、郡上藩は財政難から次々に税を重くし、農民は反対しましたが、藩は聞こうとせず重税化を強行し、農民を取り締まりました。藩に言っても受け入れられませんので、農民は、1755年に当時禁止されていた江戸幕府への直訴を行いました。その結果、幕府で裁判が行われ、幕府高官は免職になり、藩主は領地没収、お家断絶になりました。しかし、農民も14人が死刑判決を受けました。

それから約250年ですが、政治や裁判制度の違いを感じます。現代は税は少なくとも議会で議論して決まります。また、国民の「裁判をする権利」が憲法で保障され、訴えたからといって死刑になるようなことはありません。ただ、裁判制度の整備に熱心でなかったわが国の歴史は今も引きずっているように思います。江戸時代は民事事件について裁判制度は整備されていませんでした。明治時代に裁判制度ができましたが、裁判所の予算も人も少なく、裁判が増えると手数料を増額して裁判を減少させるという政策がとられました。戦後も裁判が3.5倍になっても裁判官は1.2倍しか増やしませんでした。最近、弁護士の増員は進んでいますが、裁判官の増員はわずかです。「小さい司法」は今も日本の司法の特徴です。

郡上一揆の裁判は裁判途中から江戸でも評判になり、講談にして幕府を批判した講釈師は逮捕されたといいます。今でいえば、ジャーナリストが弾圧されたということでしょうか。報道の自由も保障されていない時代でした。

一揆は江戸時代に1000以上もあり、多くの国民は問題の所在をわかっていたと思います。本居宣長も、一揆を起こす庶民に非はなく為政者が悪いと言っていたようです。しかし、一揆は暴動として扱われ、勇気ある世話人は死刑になりました。そのような不幸が二度とないように、政治制度と裁判制度の維持と改良についてふだんから努力する必要があると思います。

2日前、わが国での消費税の増税が決まりました。財政のあり方とともに今後も多くの議論が必要なことです。政治における自由な議論と裁判制度の重要さを改めて認識しました。(弁護士松森 彬)