西天満総合法律事務所NISITENMA SŌGŌ LAW OFFICE

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江戸時代の民事訴訟 (できるだけ取り上げない、示談・和解を強制する) ―逆戻りしてはならない。「裁判を求める権利」の確立が大事―

1 江戸時代の訴訟

日本の今の訴訟制度は、明治になって西洋の近代訴訟制度を導入したものです。それでは江戸時代の訴訟はどのようであったか。法制史の本に書かれていますが、法制史は対象が広く、弁護士でも法制史の本を読むことはあまりありません。しかし、訴訟制度という一つの法分野の歴史を見ることは、訴訟制度の在り方を考えるときに大変大事であると思いました。 

2 できるだけ取り上げない、示談・和解を強制する

江戸時代の裁判というと、映画やドラマでお白洲に当事者が座って奉行が裁判をするシーンを思い浮かべる方が多いと思います。実際の民亊裁判も、最初の期日は白洲で行われました。なお、大岡越前守という町奉行は実在しましたが、講談や落語に出てくる名裁判物語は実際には無く、作り話だそうです。

刑事事件については、拷問までして調べましたが、民事事件の訴えについては幕府は熱心でありませんでした。まず、訴えを出すためには、名主や家主、五人組等の了解が必要で、事前に彼らが話し合って示談で解決しないときに初めて訴えができました。そして、金銭請求の問題は当事者同士で解決すべきこととしました。制約の多い手続ですが、人々は泣き寝入りをしていたわけではなく、金銭関係の件数は多かったようです。ただ、民事裁判が増えると、幕府は相対済令(あいたいすましれい)を何度も出し、金銭貸借や売掛金等の事件は訴訟として取り上げないことにしました。江戸時代の民事裁判は、幕府の責務とはとらえられておらず、恩恵的にしているものでした。

また、訴訟を受けつけてもらえても、奉行の下で担当する役人がしつこく和解(裁判での示談)をするように求めました。どれだけ和解で終わらせるかが役人の手柄になったといいます。今も、裁判官が処理した件数が裁判所内で回覧され、処理件数が裁判官の勤務評定の材料にされています。判決を書くのは手間ですので、強引に和解を押し付ける裁判官もいて、弁護士から不満が出ることもあります。江戸時代のできるだけ訴訟として取り上げず、和解で終わらせるやり方は、明治になって和解を勧める勧解制度として設けられ、それが廃止されると、調停制度として設けられ、それが今に続いています。

3 裁判は為政者の責務でなく、裁判を求める権利はなかった

できるだけ民亊訴訟として取り上げないという扱いは、裁判を求める権利(訴権)がなかったことに原因があります。

そもそも江戸時代までの法は、為政者が統治をするためのものでした。今の法は、人の権利・正義を定めるものであり、民事訴訟は国が司法として人の権利を実現するためのものですが、基本的なところで違ったわけです。

司法は独立した存在ではなく、訴訟も行政機関(奉行など)がしました。そこで、訴訟も政府の行政処分的なものでした。

今のように民法や商法という実体法はなく、先例、判例にしたがって判断されました。江戸時代中期に「公事方御定書」が定められましたが、これは主として犯罪、刑罰に関するものでした。多くの法は秘密とされましたから、法に関する学問が人々の間におこることもなかったと言えます。

西洋には古くから法学を教育する法学校、大学があり、法律家が養成されていましたが、日本の江戸時代には無く、法律家(弁護士)や訴訟代理人の制度はありませんでした。 なお、訴状の作成や宿の提供をする公事宿に公事師と呼ばれる人がいましたが、法廷での活動は認められませんでした。

4 新憲法でも司法改革でも民事訴訟における権利保障が不十分

明治になって、明治憲法で司法の独立が認められ、裁判所制度や弁護士制度ができ、訴訟法が設けられましたが、江戸時代と同様に、刑事訴訟が優位で、司法は治安維持としての側面で捉えられていました。今でも国家予算の編成では司法(裁判所)と警察の予算を一つの範疇にしています。おかしいと思いますが、財務省は改めません。明治時代、民事訴訟については勧解制度が設けられ、江戸時代の内済(示談)を重視する施策が続けられました。

第2次大戦のあと、民主的な新憲法ができましたから、このときに、民事訴訟について裁判を求める権利と十分な審理を求める権利(審問請求権)のあることを明文で規定して、それに基づいて充実した訴訟手続や法律扶助の制度を整備することができればよかったと思います。ドイツは基本法(憲法)で審問請求権を規定し、イタリアは憲法で攻撃防御の権利を規定しています。日本でも、解釈上、民事裁判を求める権利は憲法32条の裁判を受ける権利に含むとされ、攻撃防御を尽くす審問請求権もあると解されていますが、明文の規定を設けて、民事訴訟をできるだけ取り上げないとした江戸時代以降の政策と決別すべきであったと思います。

平成の司法改革は、裁判員制度や被疑者国選制度、法科大学院制度など大きな改革がありましたが、民事司法の分野では目玉となる大きな改革がされず、裁判を求める権利について明確な確認をする機会がありませんでした。

これらの経緯が、最近の民亊訴訟の審理の形骸化と新たな提案の一因になっているように思います。

 5 近時の簡易訴訟と和解の提案の問題(調べない裁判の行きついた所)

昨年、民事訴訟のIT化のための民亊訴訟法の改正が行われました。その審議の際に、最高裁は、「主張・立証を制限し、審理期間を限定した簡易迅速な訴訟制度」の新設と「裁判所がいつでも和解の決定が出せる制度(和解に変わる決定)」の新設を提案しました。これらは訴訟のIT化と関係はありません。また、学者で、民事事件は期日回数を限定した簡易迅速な訴訟手続や非公開の非訟手続でできるだけ処理して、裁判所と裁判官の負担を軽減するのがよいという意見を表明している人があります。

しかし、審理期間を限定した訴訟制度は近代訴訟制度を採る外国にはありません。その事実は法務省も国会審議で認めました。また、和解に代わる決定の提案も、判決と異なり、理由の記載が要りませんので、裁判官の負担の軽減になります。二つの提案について弁護士会や消費者団体などが反対し、国会でも野党は反対しました。和解に代わる決定は法制化に至りませんでしたが、期間限定の訴訟の提案が一部修正をして、「法定審理期間訴訟手続」という名称で民亊訴訟法に盛り込まれました。

これらの提案や意見は、民事事件の訴訟は十分な調べをしなくても簡単な手続で裁くのでよいという考え方に立っています。そこには国民の裁判を求める権利(訴権)を侵害することについての認識の無さ、できるだけ訴訟として取り上げない指向、できるだけ和解で終わらせる指向が見られます。

日本は、今も小さな司法の政策が採られ、民事訴訟は国の責務であって、国民の権利を実現するためのものであることが十分に認識されず、紛争を解決することだけが目的と見られがちです。そのため裁判費用は高く、法律扶助の予算は少なく、権利保護保険の整備も遅れています。裁判を起こしても裁判官は少なく、手持ち事件が多いので、陳述書が多用され、証人の証言を直接聞くことは減っています。アメリカでは、たとえば相手方会社のメールを大量に出させることも可能ですが、日本の証拠収集手続は不十分で、事実を解明することが容易でありません。賠償額は低く、強制執行の制度も不備があり、勝訴しても権利を実現できないことがあります。日本の司法は、裁判所の予算と人を含む基盤と訴訟制度・手続を整備して世界標準にすることが喫緊の課題です。

日本は、明治まで近代訴訟制度を持っておらず、ようやく約130年前(1890年に民亊訴訟法を制定)になって導入しました。未だに世界の標準に達していないばかりか、ここにきて、近代訴訟制度を整備して定着させるのではなく、訴訟は時間がかかるとか、裁判官の負担があるなどとして、為政者にとって楽な江戸時代の施策、すなわち、訴訟をすることは人民の権利であるとの考え方に立たず、できるだけ本格的な訴訟をせず、できるだけ示談や和解で終わらせる施策を採ろうとしています。

6 裁判を求める権利の確立が大事(簡易化、非訟化すべきでない)

民事訴訟は、刑事訴訟と比べて国家権力との関わりが少ないように思われ、また技術的な制度であると思って法律家に任せがちですが、多くの人にとって権利・義務に関わりがあるのは、民事訴訟です。

訴訟は、公開の原則や審問請求権に基づく諸原則、証拠調べに関する諸手続きなどがあり、高度な技術としての側面を持っていますが、それは「多年にわたる努力を通じて形成されてきた、専横と不正義を防ぐ道具であるという事実を忘れてはならない。」(M.カペレッティ&B.ガース「正義へのアクセス(権利実効化のための法政策と司法改革)」196頁)と思います。

今、日本では、裁判所から簡易訴訟や和解の決定が提案され、国家(裁判所)の都合で、裁判を求める権利や、攻撃防御を尽くす権利がないがしろにされるおそれが生じています。訴訟の歴史を見れば、提案されている訴訟の簡易化や非訟化は進めるべきではないと思います。

日本にとって必要なことは、世界に比べて遅れている裁判官の増員や証拠収集手続、法律扶助などの整備です。それによって日本の司法制度、訴訟制度を早く世界標準にする必要があります。

(参考文献)

高柳真三著「日本法制史」(一)、石井良助著「日本法制史概要」、大平祐一「近世の訴訟、裁判制度について」(法制史研究41号)、牧英正・藤原明久編「日本法制史」、出口雄一・神野潔・十川陽一・山本英貴編著「概説日本法制史」、園尾隆司著「民事訴訟・執行・破産の近現代史」、明石三郎著「自力救済の研究」、柴田光蔵著「ローマ法の基礎知識」、小島武司他編「ヨーロッパ裁判制度の源流」、ピーター・スタイン著「ローマ法とヨーロッパ」、勝田有恒・森征一・山内進編著「概説西洋法制史」等。

(弁護士 松森 彬)