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団藤重光元裁判官のノートから大阪空港公害訴訟の闇が明らかに

1 団藤重光元最高裁裁判官のノート

本年4月15日、NHK・Eテレで特集「誰のための司法か~団藤重光 最高裁・事件ノート~」という番組の放送がありました。この番組は、刑法学の第一人者で東大教授や最高裁判所裁判官を務めた団藤重光氏が残していたノートを基に、大阪空港公害訴訟の審理が当初の小法廷から大法廷に回付された際に、退官をしていた最高裁の元長官が関与していたことを報じたものでした。(番組は、NHKオンデマンドで見ることができます。)

団藤氏のノートは、遺族から寄贈を受けた龍谷大学(矯正・保護総合センター)において本年4月19日に報道陣に公開されました。翌日の各新聞は、「大阪空港公害訴訟 最高裁の団藤元判事 元長官の介入 けしからぬ」(朝日新聞)などの見出しを付けてノートの内容を報道しました。

2 大阪空港公害訴訟

大阪空港公害訴訟は、飛行機の騒音などの被害を受けていた大阪府と兵庫県の住民が1969年に午後9時以降翌朝午前7時までの飛行差止と損害賠償を求めて提訴した裁判です。1974年2月27日の大阪地方裁判所の判決と1975年11月27日の大阪高等裁判所の判決は、いずれも夜間飛行の差止と損害賠償を認めました(地裁判決は午後10時以降を禁止、高裁判決は請求どおり午後9時以降の禁止)。運輸省は、高裁判決のあと、住民の要求を受けて、自主的に午後9時以降の離発着をやめましたが、国は判決の逆転を求めて、最高裁に上告しました。

私は、1972年に弁護士になりましたが、そのときから原告弁護団に加わり、大阪空港公害訴訟に参加しましたので、団藤氏のノートが明らかにした事実に驚きました。

3 最高裁での審理

上告事件は、まず最高裁の3つの小法廷(5人ずつで構成)で審理するとされています(最高裁判所裁判事務処理規則)。大法廷で審理するのは、憲法判断をする事件、判例を変更する事件、その他、大法廷での審理が相当な事件とされており、大法廷(15人で構成)に回付するかどうかは小法廷が決めます。

大阪空港公害訴訟は、団藤氏の所属した第一小法廷(岸上康夫裁判長)に係属し、第一小法廷は、上告から2年半後の1978年5月22日に弁論を開いて結審しました。第一小法廷は和解を試み、岸上康夫裁判長は、午後9時以降の離着陸をしないことを前提とする和解案を示しました。早期救済を求める住民側は和解に応ずる姿勢を示しましたが、国側は和解に難色を示しましたので、岸上裁判長は和解を打ち切りました。岸上裁判長の定年退官が同年9月21日であり、それまでに判決を出すことが予想されました。

団藤氏のノートには、「一応の結論」として、飛行禁止を認めた2審判決を「是認していいのではないか」と記されており、第一小法廷が住民勝訴の結論を固めていたことがうかがえます。そのことは、和解の進め方や、団藤ノートの「(国は)和解のすすめ方を見て不利とみてこの挙に及んだのであろう」との記載などからもわかります。NHKの番組でも、当時法務省の訟務局で訴訟を担当した人が、第一小法廷は差止を認めるつもりであったことはまちがいがないと思うと言っていました。なお、団藤氏のノートには、学校では防音工事がされているが飛行機が飛んでくると騒音で授業が中断になるなどの被害の実態や、既に高裁判決のあと夜間の飛行はされていないことなどが書かれていて、これらの事実を考慮して、小法廷は差止を認めた高裁判決を是認するつもりであったと考えられます。

小法廷の和解の進め方などから敗訴するとみた国は、大法廷に回付させて、結論の逆転をはかろうとし、1978年7月18日、大法廷に回付するよう求める上申書を提出しました。大法廷に回れば、構成する裁判官が変わること、時間がかかると裁判官がさらに変わる可能性があることを考慮したと思われます。弁論期日のあとに大法廷への回付を求めるのは、きわめて異例だと言えます。団藤氏は、ノートに「いまになっての上申は好ましくない」、「引きのばし作戦でもあろう」と書いています。

団藤氏のノートには、岸上裁判長から聞いた話として、上申書が出た翌日19日に岸上裁判長も在室していた岡原昌男長官の部屋に法務省民事局長なども務めたことがある村上朝一元長官(1973年から1976年長官)から電話があり、「岡原氏が岸上氏に受話器を渡したところ法務省側の意を受けた村上氏が大法廷回付の要望をされた由」と書かれています。団藤氏は、元長官の行為を聞いて憤慨し、ノートに「この種の介入は怪(け)しからぬことだ」と書いています。

結局、第一小法廷は、1978年8月31日、大阪空港公害訴訟を大法廷に回付することを決定しました。そして、大法廷は同年11月7日に弁論を開き、結審しました。しかし、判決は出されず、2年後の1980年4月16日、大法廷は弁論の再開を決定し、同年12月3日に再び弁論が開かれました。その日で結審し、翌1981年12月16日に大法廷判決が出ました。(最高裁判決は最高裁判所のホームページの裁判例検索で見ることができます。団藤裁判官の意見は32頁から39頁です。)

大法廷の判決は、高裁判決を取り消して、飛行差止請求は不適法であるとして却下し、損害賠償の一部のみ認めました。最高裁は、上告から判決までに6年も費やしました。大法廷に回付された後に3年余りかけており、その間に5人の裁判官の交代があり、判決のときに差止請求権を認める裁判官は団藤氏を含めて4人で、少数意見となりました。

最高裁判決が、差止請求は不適法であるとしたことで、他の差止請求の訴訟に大きな影響を与え、差止請求は認められない流れになりました。

4 毎日新聞の報道

判決から約10年が経った1991年12月12日の毎日新聞は、大阪空港公害訴訟の大法廷への回付は岡原長官(回付当時)の意向が働いたと報じました。日弁連の発行する「自由と正義」に、それは裁判官の独立を侵すことだとの投稿があり、弁護士登録をしていた岡原氏は、その記事に対して投稿し、回付は小法廷が決めたもので、自身が「地位を利用して圧力をかけたこともない」と書きました(自由と正義43巻6号149頁)。しかし、この度のNHKの番組によりますと、岡原氏は毎日新聞の取材があったとき、大法廷に回付するのがよいのではないかと言ったかもしれないと答えていたようです。また、毎日新聞の記者であった河野俊史氏は2017年12月に日本記者クラブのホームページに書いた記事(取材ノート)に、団藤氏は岡原長官から回付の要請があったと話したと書いています。

団藤ノートによりますと、村上元長官から岸上裁判長に大法廷回付を要望する電話があったとき、最高裁長官室には、岡原長官、岸上裁判官の他に、服部高顕裁判官(後任の長官で、大阪空港公害訴訟の判決の言渡をした裁判長)、吉田豊裁判官がいたということです。元長官とはいえ、退官している外部の人からの裁判長に対する特定の事件についての具体的な要請ですから、それは司法の独立を脅かす不当なことであり、排斥すべきことでした。しかし、岡原長官らは、それに抗議したり、第一小法廷を擁護したりせず、むしろ岡原長官は大法廷回付を勧めたようです。判決の直前にあった第一小法廷の岸上裁判長、団藤裁判官らは、大きな鬱積があったと思われます。その後も、元長官からの要望があった事実は隠されてきました。団藤氏のノートがなければ、闇に隠されたままでした。

 5 司法権の独立と裁判の公正

 団藤氏のノートは、その内容、性質などからして同氏の見聞した事実が記載されていると考えられ、信ぴょう性の高いものであると認められます。ノートでこの度明らかになった事実は、国民の司法に対する信頼を大きく揺るがすものでした。

憲法76条は、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定め、司法権の独立と裁判官の独立を保障しています。司法権以外の権力である行政府や立法府からの介入のみならず、当該裁判体以外の裁判官の介入をも許さない趣旨です。

元長官が、判決が間近になっている事件について、これを担当する裁判長に大法廷への回付を求めたことは、裁判官は良心に従い独立してその職務を行うことに対する不当な介入というべきで、司法権の独立及び裁判の公正に対する国民の信頼を脅かすものです。

かつて札幌地方裁判所の平賀所長が長沼基地訴訟を担当していた裁判長に裁判について意見を書いた書面を渡した事件(平賀書簡問題)があり、最高裁判所は所長に注意処分を課しました。司法府のトップである最高裁判所において担当裁判官への介入といえる事態が生じたことは深刻です。最高裁判所は、この度明らかになった事実により国民の司法への信頼が傷ついたことを自覚する必要があると思います。

当然のことですが、政治や行政から裁判所、裁判官に圧力や働きかけがあってはならず、最高裁判所は、この機会に、今後、万一、そのような事態が生じたときは、司法権の独立を守るため、司法府として、それを直ちに公表し、毅然として排除する旨の決意を表明することが求められていると思います。

6 大阪弁護士会の会長声明

大阪弁護士会(三木秀夫会長)は、2023年4月26日、「大阪空港公害訴訟事件に係る団藤重光元裁判官の指摘を踏まえ、改めて司法権の独立の徹底を求める会長声明」を出し、ホームページで公表するとともに、最高裁判所に送付しました。

会長声明は、結びで、「当会としては、上記ノートの公表を機に、司法権の独立、裁判官の独立が憲法上の極めて重要な要請であること、そしてまた、こうした独立が保障されることによって初めて裁判の公正に対する国民の信頼が得られることについて、改めて確認するとともに、最高裁判所に対し、万一にも行政府や立法府、もしくはその意を 受けた者などからのいかなる圧力や働きかけがあろうとも、毅然として排除することを強く求めるものである。」としています。  (弁護士 松森 彬)

(2023年5月30日追記)

2023年5月22日から同年6月4日まで龍谷大学矯正・保護センターで生誕110周年記念特別展「団藤重光の世界ー法学者・最高裁判事・宮内庁参与」が開かれましたので、今日、見てきました。大阪空港公害訴訟については、1978年7月の「この種の介入は怪(け)しからぬことだ」との記載部分が公開されており、直接読むことができました。(弁護士松森 彬)