・民亊弁護の言葉は、民事事件における弁護士の役割を示す言葉として適切である。
・民事訴訟は人々のためのものであり、当事者の権利の確立が大事である。
・そのために民事弁護の研究、実践、雑誌の発刊などを進めよう。
1 民事弁護とは
民事弁護とは、弁護士が民事事件において当事者の権利や利益を守るために訴訟や交渉などの活動を行うことを言います。また、刑事弁護とは、弁護士が刑事事件において被疑者や被告人を弁護する活動のことです。
刑事弁護はよく使われる言葉ですが、民事弁護という言葉はあまりなじみがないかもしれません。しかし、弁護士の使命は当事者の権利の擁護・実現であることから、弁護士と弁護士会は、もっと民事弁護の言葉を使って取り組みを進めるのがよいのではないかと思います。
2 民事弁護という言葉
民事弁護という言葉自体は、古くからあります。司法研修所で民事弁護の課目を担当する弁護士が教科書として「民事弁護の手引」という本を作っています。8訂版(増訂版)が2019年(令和元年)に出版されていますが、初版は1961年(昭和36年)です。民事弁護の言葉はずいぶん前から使われています。
最近では、弁護士向けのマニュアル的な本の名称に民事弁護の言葉は使われています。民事弁護ガイドブック、民事弁護起案、民事弁護と裁判実務などの名称の本が出版されています。
3 刑事弁護との比較
民事弁護の言葉が、刑事弁護の言葉ほどに使われていない理由を考えてみました。刑事事件については、「弁護人」の言葉が憲法と刑事訴訟法に出てきますが、民事訴訟法では民事弁護という言葉は使われていません。民事訴訟法では、代理人となる弁護士のことを「訴訟代理人」と言っています。民事弁護の言葉が、刑事弁護の言葉に比べて影が薄いのは、憲法や法律に言葉が出てこないことが理由の一つであると思います。
ただ、弁護と代理は対立する言葉ではありません。弁護や弁護人という言い方は、弁護士が行う仕事の目的や役割(その人の利益を守る)を捉えたものであり、代理や代理人という言い方は、弁護士が行う仕事の外観(代わりをする)や法的効果(代理人が行った行為の効果が本人に帰属する)を捉えたものだと思います。
あまり使われてこなかった理由のもう一つは、弁護という言葉の語感もあるかもしれません。弁護とは、「その人の利益となることを主張して助けること。その人のために申し開きをして助けること」(広辞苑)という意味です。後者の用法の場合は、非難されている人を守るというニュアンスになりますので、弁護という言葉は刑事事件で被疑者や被告人の弁護をすることというイメージになり、民事事件であまり使われてこなかったのかもしれません。
しかし、弁護の言葉は、広くその人の利益を守ることと捉えることができますので、私は、民事訴訟を含めて民事事件における弁護士の活動のことを民事弁護という言葉で表現するのがよいように思います。それは、民事弁護の言葉を使うことで、民事事件における弁護士の役割を正面から直截に把握し、表現することができると思うからです。
4 民事訴訟における弁護士の役割は民事弁護
弁護士の使命は、弁護士法1条にあるように、人々の基本的人権の擁護と社会正義の実現です。民事事件(家事事件、行政事件も含めて)について言えば、当事者の実体法上と手続法上の権利を擁護し、実現することが弁護士の役割になります。
そのことを踏まえれば、弁護士が民事事件(家事事件、行政事件も含めて)で行うことの諸活動は総称して「民事弁護」というのが適切ではないでしょうか。
弁護士の使命は当事者の権利の擁護と実現であることを弁護士が十分に認識し、それを実践するために、もっと「民事弁護」の言葉を使うことが役に立つように思います。
5 民事弁護委員会の設置
弁護士会には刑事事件における弁護士の活動や刑事訴訟のあり方について調査検討する委員会があり、刑事弁護委員会と呼ばれています。そして、刑事弁護人の最も重要な任務は、被疑者・被告人の権利及び利益を擁護することであるとされています(司法研修所編「平成29年版刑事弁護実務」35頁)。
他方、民事訴訟における弁護士の活動や民亊訴訟のあり方を調査検討する委員会は、民事裁判委員会あるいはそれに似た名前が付けられています。私は、弁護士会の民事裁判や民事事件を扱う委員会の名称は、「民事弁護委員会」とするのがよいと思います。弁護士の民事訴訟や民事事件における役割・使命は、当事者の裁判を受ける権利や法的審問請求権などの権利を擁護・実現することですから、弁護士会の委員会の目的と名称も、民事弁護のための委員会とするのがよいのではないでしょうか。
民事弁護委員会では、人々の裁判を受ける権利、法的審問請求権等の研究活動と、当事者の権利を擁護・実現するための実践活動、雑誌などを通じた民事弁護の普及を担っていただくことになると思います。
また、民事弁護委員会では、弁護士の活動だけでなく、民事裁判のあり方や民事訴訟法の改正なども扱うことになりますが、それは委員会のなかの部会などとして設けるのがよいと思います。
6 民事弁護の研究と実践
「季刊 刑事弁護」という雑誌が、1995年から年4回発刊(現代人文社、定価2700円)され、現在も続いています。弁護士と研究者が雑誌の企画・編集をしています。刑事弁護に力を入れてきた弁護士に聞きますと、「この雑誌により、刑事事件における弁護士の活動は議論が深められ、実践されてきた。この雑誌の果たしている役割は大きい。」と言います。
私は、民事弁護についても、「季刊 民事弁護」という雑誌を弁護士が中心になって発行できないだろうかと思います。医学雑誌のように、弁護士による研究や実践例が多数報告され、情報交換され、共有されることで、民事訴訟の改革改善につながり、人々のためになるのではないでしょうか。今の民事訴訟法学の議論は、裁判所・裁判官の意見が重きを占めているように思いますが、これからは、もっと当事者と弁護士の提案・実践が議論の前提になるのがよいと思います。
弁護士会の研修でも、民事裁判の進め方について裁判官に講師をお願いすることが少なくありませんが、少なくとも代理人の訴訟活動についてはもっと弁護士が行うのがよいと思います。
7 裁判は誰のためのものか
民事裁判は、誰のためのものでしょうか。主人公は誰なのでしょう。例えとして適切でないという意見があるかもしれませんが、指摘したいことをお伝えするために比喩を使わせていただきます。野球でもサッカーでも相撲でも、試合をしているのはプレーヤー、選手であって、決して審判ではありません。審判は、選手による試合のために存在するのであり、選手は審判のために存在するのではありません。しかし、今の民事訴訟法の法学では、裁判官のために当事者は存在するかのような議論を聞くことがあります。裁判の進行のために当事者や弁護士に義務を課すことに汲々とする議論などに見られます。裁判官の増員は難しいと最初から断念して、裁判所と裁判官の負担軽減をはかるために、簡易な訴訟制度を設けて、それで民亊事件は処理するのでよいとする提案もありますが、それなども本末転倒の提案ではないかと思います。裁判官のなかにも、自身が裁判の進行をつかさどっていることから、自分が主役のように思っているのではないかと感じる人がいます。
裁判の当事者が求めているのは、裁判官や学者が思う以上に事実の解明であり、納得のいく審理です。当事者がこの証拠を取り寄せてほしい、あるいはこの証人も呼んでほしいと申請しても、裁判官は手持事件数が多く、事件を早期に効率よく処理したいので、ややもすれば証人を採用しなかったり、早く審理を終わろうとしたりします。裁判当事者には、裁判を受ける権利、主張と立証をする権利、丁寧で納得のいく事実審理を求める権利がありますが、これが実際の裁判では認められないことが少なくありません。これらの権利の総体を「裁判当事者の権利」として確立することが、日本の民事裁判に必要なことではないでしょうか。それができるのは、弁護士であり、弁護士会であると思います。
医療は、患者のためにあります。かつては日本でも外国でも医者はかなり独善的で、患者は医者のいうことを聞くしかないのが実際でした。しかし今は患者の権利が認められ、医療はずいぶん患者に優しいものになっています。
裁判は、人々のためのものであり、人々には、裁判を受ける権利(民事裁判の場合は、民事裁判を求める権利というのがよいと思います)が憲法で保障されています。これを受けて、国(裁判所)は、公正、適正、充実、迅速な裁判をする責務を負っています。民事訴訟は、人々のためのものであり、民事訴訟制度の目的は、人々の権利を実現するためです。
しかし、日本の民事訴訟法学では、紛争の解決が民事訴訟の目的であるとする紛争解決説が主流とされ、裁判制度は国の制度であるという側面を重視し、人々の権利を実現するための制度である点をきちんと捉えない傾向があるように思います。最近では民事訴訟制度の目的の議論は重要でないとか、棚上げしてよいとする意見もあるようです。しかし、日々、当事者から依頼を受けて裁判をしている弁護士からしますと、当事者は自身の権利あるいは法的利益を認めてもらうために費用や時間や労力を費やすのであり、紛争がただ解決すればよいと考えていないことを身に染みて知っています。民事訴訟制度は何のためにあるかという制度目的の議論が棚上げにされれば、人々の裁判を受ける権利について充分な認識がされ、その実現が図られるのか不安です。民事訴訟制度の目的という民事訴訟の学問の冒頭部分で議論が深まっていないのは、弁護士などの実務家が議論に参加してこなかったことが理由の一つにあるのではないかと思います。
人々にとって司法の分野で一番大事になるのは、「裁判を受ける権利」ですが、裁判を受ける権利のテーマは、憲法学でも民事訴訟法学でも研究が十分にできていないと研究者は言います。そのことの影響もあると思いますが、日本では裁判の制度や手続のあり方は国に委ねられ、裁判を受ける権利が具体的に実現していないという指摘が研究者からされています。
8 「民事弁護」の取り組みを進めよう
このように、現在、民事訴訟制度の設計の基本になるはずの「民事訴訟制度の目的」は議論が確立しておらず、人々の権利を実現するための基本権と言われる「裁判を受ける権利」は、日本では研究も具体化も遅れています。
弁護士会は、刑事訴訟も含めて多くの分野で人々の権利を守ることに立脚した取り組みをしていますが、民事訴訟の分野ではそのことについての明確な認識と共有化が必ずしも十分でないように思います。
弁護士の使命は裁判当事者の権利の擁護と実現であることを踏まえて、「民事弁護」の充実と実践をはかることが求められていると思います。(弁護士 松森 彬)