西天満総合法律事務所NISITENMA SŌGŌ LAW OFFICE

  1. ホーム
  2. コラム
  3. 判決,法律
  4. 憲法に関する判決が少ない日本

憲法に関する判決が少ない日本

「なぜ日本では憲法に関する判決が少ないのか」について泉徳治氏(元最高裁判事、現在弁護士)が9月21日に大阪弁護士会で講演をされ、聞いてきました。泉氏は、1963年(昭和38年)から2009年(平成21年)まで裁判官をされていた人で、この間、最高裁調査官、事務総長、最高裁判事などを務められました。

 

日本では、過去70年間に憲法に違反するとした判決は、全部で21件しかありません。そのうち、法令が違憲とされたものが10件で、国の処分が違憲とされたものが11件です。前者の法令が違憲とされたものは、議員定数配分規定が違憲とされた判決や、婚外子の相続分を差別していた民法の規定が違憲とされた判決などがあります。また、後者の国や府県の処分について審理された事件には、県が護国神社の祭りごとに公金を出したことが違憲とされた判決や、令状なしにGPSを車に取り付けた捜査が違憲とされた判決があります。

 

ちなみに、ドイツでは、戦後約60年間に600件を超える違憲判決があり、アメリカでは連邦法、州法、条例について約900件の違憲判決があり、韓国では、27年間に違憲の疑いがあるとされたものも含めて約700件の違憲判決が出ているといいますから、日本の数の少なさがわかります。

 

泉元判事は、日本の最高裁が違憲判決をほとんど出さない理由を5点指摘されました。第1は、最高裁判事に公務員出身者が多いことです(15人中10人)。学者出身の判事が2名いますが、公法学者ではないとのことです。また、調査官が全員裁判官で、しかも、憲法を担当している調査官はいないことです。韓国には、憲法裁判所があり、憲法問題を担当している調査官が80人もいるようです。さらに、日本の最高裁は上告事件が多いことを指摘されました。2015年の民事訴訟は3287件、刑事事件は1912件でした。第2に、裁判官には、憲法判断を回避する傾向があるとのことです。憲法は単に理念を定めているだけで、国民の権利自由は法律の具体的規定で決まると考える傾向が強いと指摘されました。例として、夫婦同氏強制についての最大判平成27年12月16日判決を紹介されました。また、憲法違反の主張が出ていても、「本件上告の理由は、違憲をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものである。」として、憲法判断を避ける判決が少なくないようです(最二小決平成28年6月15日等)。これでは、いくら憲法の問題だと主張しても憲法解釈の判断は出ないことになります。第3は、最高裁の小法廷は、裁判所法10条1項括弧書きを多用して、合憲であると判断した大法廷判決を他の法律問題まで引用して拡大解釈する傾向があるとの指摘です。例として、謝罪広告合憲判決等を先例として、小法廷で国旗国歌斉唱命令を合憲とした最二小平成23年5月30日判決等があると紹介されました。第4として、裁判官には、違憲と判断するのは国の行為が明らかな裁量権の逸脱・乱用があった場合に限られるとする思考が多いと指摘されました。泉元判事は、個人の権利、自由の擁護に関する司法の役割について認識不足があると思うと述べられました。第5として、日本は違憲審査の基準が未成熟であると思うと指摘されました。そして、この点がわが国にとって一番大事な問題ではないかという意見を述べられました。

 

泉元判事は、違憲判断に慎重な裁判所から適切な違憲の判断を引き出すためには、次の6点が必要であると思うと話されました。

 

第1は、国の行為で制約をうける国民の権利や自由が憲法により直接保護されているものであることを正面から主張する必要があると話されました。最大判平成29年3月15日は、GPS捜査で侵害される個人のプライバシーは、憲法35条1項の権利に含まれると判断したことを紹介されました。

 

第2に、議員定数是正訴訟のように、同種事件の訴えを多数の裁判所に提起し続け、高裁の違憲判決を1件でも引き出し、最高裁が憲法判断をせざるを得ない状況を作ることが大事だと話されました。

 

第3に、学者等の協力を得て、外国の判例を資料として提出することも意味があると話されました。最大判昭和50年4月30日の薬事法違憲判決は、西ドイツの連邦憲法裁判所の1958年6月11日の薬事法違憲判決の影響を受けているとのことです。また、東京地裁平成25年3月14日の成年被後見人選挙権判決は、欧州人権裁判所の2010年5月20日判決の影響を受けているとのことです。

 

第4に、被疑者の権利などについては自由権規約や同委員会最終見解などを活用して世界の趨勢を気づかせる必要があると話されました。例として、最大判平成20年6月4日の国籍法違憲判決や、最大決平成25年9月4日の婚外子相続分差別違憲決定を紹介されました。

 

第5に、個人の基本的人権や少数者の人権、民主政のシステムを守るのは司法の役割であることを強調して、違憲審査基準論を参考にした厳格な審査を要求する必要があるとのことです。

 

第6に、最高裁は、しばしば「総合的衡量により必要性や合理性が認められるか否か」という基準を立てますが、この基準はあいまいで、どちらの結論も引き出せると指摘されました。たとえば、最大判平成4年7月1日成田新法事件や最二小判平成23年5月30日国歌国旗起立斉唱事件などは、「国家行為の目的及び内容並びに制約の態様等を総合的に衡量して、国家行為に制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断する。」としていますが、泉元判事は、これは基準ではないと言われます。どちらの結論も導き出せるからです。また、最大決平成25年9月4日婚外子相続分差別規定事件などは、「法的な差別的取扱いの合憲性は、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づいているか否かという観点から判断する。」としています。泉元判事は、最高裁の違憲審査基準となっている「総合的衡量による合理性判断の枠組み」は、あいまいで、何か制約の理由らしいものがあれば、制約の合理性を認めてしまうことを指摘されました。

泉元判事は、これを防ぐには、ドイツの憲法裁判所の考え方である「三段階審査論」が有効であるとして、紹介されました。これは、①第1段階として、当事者の主張する利益が憲法の定める基本権が保護しているものかを検討をする(保護範囲の検討)、②第2段階として、その国の行為が基本権を制限するといえる程に強く制約しているかを検討する(権利侵害の検討)、③第3段階として、その国の制約が、憲法上、正当化できるかを検討する。具体的には、第1に、形式的正当化の検討として、基本権の制約が憲法の要求する形式を備えているか(法律の根拠を有するか、規範の明確性の要件を充たしているか等)を検討する。第2に、実質的正当化の検討として、制約が正当な目的を達成するのに、適合的かつ必要不可欠で、しかも目的に比して均衡の取れた手段になっているかを検討するというものです(比例原則)。この実質的正当化の検討では、ⅰ規制手段が規制目的を達成するための手段として役立つか(適合性)、ⅱ規制手段が規制目的を達成するのに本当に必要であるか(必要性)、ⅲ規制により失われる利益に比して得られる利益が大きいか(狭義の比例性)を検討するという説明をされました。

泉元判事は、日本の裁判は、すぐに制度論、法律の解釈に入る傾向があり、憲法問題を審査する手法、審査する基準が育っていないと言われ、その点に最大の問題があると話されました。総合的な衡量は、一般の民事事件でも裁判所がよく使う言い回しですが、単に考慮する要素を指摘しているだけで、それだけでは、結論を先に出して、後で理屈を付けることができてしまいます。

 

泉元判事も指摘されましたが、「憲法は国民の権利・自由を直接に保障しているものだ」という考えが、国民のみならず、裁判官、弁護士にも少ないように思います。日本でも司法が十分に機能を果たすために、司法に携わる弁護士、裁判官が、憲法をもっと活用する必要があると思いました。(弁護士 松森 彬)

 

(追記)

ドイツとアメリカの各最高裁の違憲判決の件数が、ディヴィッド・S・ロー教授(ワシントン大学)の「日本の最高裁が違憲立法審査に消極的なのはなぜか」(政経論争81巻第1・2号)に出典を指摘して紹介されていましたので、本文に加筆しました(2018年6月25日追記)。