戦争中に、司法の独立を守った大審院の裁判官たちの話しを読みました。司法の独立といえば、明治時代の大津事件のときの児島惟謙大審院長が有名ですが、この話しも、もっと知られるべきだと思います。
昭和17年の衆議院選挙のとき、内閣と軍部は、推薦候補だけを当選させて、大政翼賛会一色に塗りつぶそうとしていました。片山哲、鳩山一郎、芦田均、三木武夫など、戦後首相になった人なども、政府に従わないとして推薦されませんでした。
鹿児島で、町長や警察署長などが組織的に選挙妨害と干渉をしたのに怒った住民が、大審院に選挙無効の訴訟を申し立てました。担当した大審院の吉田久部長は、他の4人の判事と鹿児島に出向いて、申請があった200人近い証人調べを行い、知事まで尋問をしています。
吉田判事は殺されるかもしれないと思い、遺書を書いて出張したようです。東条英機首相は、その後、大審院の裁判官を集めて、戦争の勝利なくして司法の独立もないと恫喝したと言います。そんな中で、吉田久判事は、昭和20年3月、翼賛選挙は無効だという判決を言い渡します。そして、圧力があったのか、4日後に判事を退職します。
民主的な仕組みがことごとく壊されていたなかで、気骨ある裁判官の話しは、すごいと思いました。
この本を書いたのは、NHKの記者で、本は、清水聡「気骨の判決」(東条英機と闘った裁判官)(新潮新書)です。私は新幹線の中で読みましたが、読みやすい本です。
なお、この話しは、今年8月16日(日)にNHKで「気骨の判決」というドラマにして放映されるそうです。