西天満総合法律事務所NISITENMA SŌGŌ LAW OFFICE

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民事訴訟制度において重要なこと(カラマンドレーイ教授の意見)

1 イタリアの民亊訴訟法学者の指摘

イタリアの民亊訴訟法学者でフィレンツェ大学の学長も務めたピエロ・カラマンドレーイ教授(1889年~1956年)の「訴訟と民主主義」(小島武司教授ら訳)(中央大学出版会、1976年刊)という本を読みました。約70年前の本ですが、訴訟制度においては何が重要であるかが指摘されており、法律家や司法に関心がある人にお勧めする文献です。

この本でも指摘されていますが、西洋の訴訟制度はローマ法以来の長い歴史があります。日本には明治になるまで西洋のような体系だった訴訟制度がなく、約130年前の1890年(明治23年)にドイツの民亊訴訟法と訴訟制度を輸入しました。そこで、日本でも訴訟制度の在り方を考えるときは、導入した西洋の訴訟制度の歴史を学び、何が大事であると考えて制度や訴訟法が作られてきたかを知る必要があります。私が学生であったころ、民訴法(民亊訴訟法の略称)の講義は観念論が多く、学生にとって睡眠を催すものであったので、眠素法と呼ばれていました。カラマンドレーイ教授の学風は観念論に陥らず、事実を基にしていると評されているようで、この本も大変面白く読むことができます。

2 カラマンドレーイ教授の意見

カラマンドレーイ教授は、訴訟制度において重要と考えられることを書いておられます。その主な点を紹介します。私は同教授の訴訟に対する見方や意見のほとんどについて、そうであるかもしれないと理解し、あるいは賛成であるという思いを持ちました。

ア(訴訟法は公権力が定める推論の方法)

訴訟法は、正義に到達するために公権力が定めた推論の方法である(3頁)。
訴訟法は、戦いの公正を保障するために、国家が公平な第三者として介入する必要から生まれた(6頁)。

イ(訴訟の歴史)

訴訟はローマ法以来の歴史があり、それは慣習上の技術である裁判実務を訴訟法に変え、法典に編纂する歴史であった(8頁)。

ウ(当事者の権利と裁判官の義務・責任)

「攻撃防御は、手続のすべての状態及び段階において侵すことのできない権利である」(イタリア憲法24条)(104頁)。
裁判官は、言い分を自由に主張し、注意深く聴いてもらう権利を持つ当事者に対し、義務と責任を負う公務員である(104頁)。

エ(裁判官を脅かす惰性、官僚的な冷たさ、無責任さの危険性)

裁判官を脅かす最も大きな危険は、一般の公務員の場合と同様に、惰性であり、官僚的な冷やかさであり、匿名の無責任さである(45頁)。

オ(討論の重要性)

訴訟は、対話、会話、そして主張、答弁、反論の交換であり、攻撃と防御の交錯である。この対論的性格こそ、近代的訴訟のもっとも貴重で典型的な特質である(105頁)。口頭弁論では、裁判官と弁護士が討論と通じて理解し、納得しあおうとする生き生きした対話者間の問答をすることが求められる(70、71頁)。

カ(判決理由の重要さ)

判決理由は、その重要性ゆえに憲法上の保障にまで高められており、イタリア憲法は「裁判上の措置にはすべて理由を付さなければならない」(111条)と定めている(77頁)。判決理由は、何よりもまず説得を目的とする判決内容の正当化である(77頁)。当事者は、不服申立ての理由となるような欠点があるかを判決理由から知ることができる(78頁)。弁護士は、判決の一文一文、一節一節、一語一語を手探りする。なぜなら、一つの言葉のなかに、あるいは文法的なつながりのなかに論理の裂け目が潜んでいて、そこに攻撃の刃を突き立てれば、判決全体が瓦解してしますことがありうるからである(79頁)。

キ(弁護士を委任する権利)

当事者は手続のあらゆる状態及び段階において攻撃防御を行う権利を持っているが、それは実際には弁護士を選任する権利を意味する(131頁)。訴訟は複雑な技術的システムであり、技術的知識を駆使して当事者間の均衡を回復する弁護士が必要である。弁護士が付いていない場合は、相手方の悪意の餌食になったり、訴訟手続の落とし穴に落ち込んだりしかねない(132頁)。

ク(経済的な格差で裁判が左右されてはならない)

イタリア憲法は「無産者には、いかなる裁判所にも訴えを提起し、攻撃防御を行う手段が適切な制度によって保障される」と宣言している(24条3項)(134頁)。貧しい者も最良の弁護士を無償で選任できる制度がいる(138ないし140頁)。

ケ(弁護士自治が必要)

弁護士の自治と自律が重要である(113頁)。弁護士を自由な職業から国の官僚に変えてしまうことは、弁護士職の終焉を意味するだけでなく、正義の終焉を意味する(113頁)。

コ(裁判官の選任方法)

現代のすべての民主憲法は裁判所と裁判官の独立をうたっている(52頁)。裁判官は昇進や左遷による干渉を受ける危険性があり、それを避けるために昇進制度は廃止することが考えられる。イギリスの制度がそれに近い(63頁)。
訴訟の適切な運営の条件として弁護士と裁判官との間の信頼がある。そのためには、最高の権威と名声のある弁護士が裁判官に任命されるイギリスの裁判官選任の制度が最良のものと思う(121頁)。

3 日本の民亊訴訟と民亊訴訟法の課題

ア 日本が西洋の近代訴訟制度を設けたのは明治になってからです。それまでは、統一的な訴訟法や、裁判所制度や、裁判官制度、法律家の教育養成機関などはありませんでした。幕府や藩に公事、問答、出入筋などと呼ばれる裁判のような手続があったようですが、時代、地域により異なり、しかも、できるだけ民間での解決を求め、私人間の民事の問題は取り上げないようにしたという指摘もあります。

西洋では、古くから訴訟制度を設け、民衆に裁判をする権利を認めていました。日本では、今でも民事事件を欲得の話だと見たり、裁判を国の恩恵的な制度であると見たりする傾向があり、人々の裁判をする権利について冷淡です。たとえば、裁判手数料はフランスでは裁判を受ける権利があることを踏まえて無料とされ、アメリカでは一律120ドル(約1万5000円)に抑えられていますが、日本では、係争額によっては数十万円にもなります。また、経済的困窮者に対する法律扶助は、外国では給付した金銭の返還を求めませんが、日本では返還を求めています。そして、日本は裁判官の人数(国民一人当たり)が少なく、裁判官の手持ちの裁判件数は190件もあり(東京地裁)、丁寧で親切な裁判がしにくい状況にあります。

イ この度、審理期間を6カ月に限定した訴訟制度(「法定審理期間訴訟手続」)が新設されました。期間の予測可能性を高めて利用を増やすという名目ですが、おおよその期間は弁護士が説明しており、制度の必要性が具体的に明らかにされていません。むしろ、期間を事前に決めることによる弊害が大きいことから、外国では期間を限定する訴訟は設けていません。裁判官にとっては、一定期間で一丁上がりに事件を片付けることができ、裁判所と裁判官にとっては負担の軽減になり、都合のよい制度だと思います。しかし、期間が限定されるために当事者は主張や立証が十分にできず審理がずさんになり、事案の解明と当事者の権利の実現がないがしろになるおそれがあります。日本の訴訟制度は、西洋に比べて歴史が短く、未だに予算、人、制度が十分に整備できていませんが、一番身に付いていないのは訴訟制度についての理解ではないかと思います。

日本では、民衆の裁判をする権利は十分に実現しているといえない状況にありますが、その整備を進めないままに、外国にない期間限定の簡易な手続を設けて民亊事件を処理しようとする動きが出てきました。民事事件は少々ラフであっても簡単な手続で早く解決を図るのでよいというい発想です。しかし、日本には遅れている訴訟制度の整備を進め、その定着を図ることが求められているのであり、訴訟制度を導入する前の時代に戻ってはならないと思います。

(弁護士 松森 彬)