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玄奘三蔵の展覧会に行ってきました

今日は司法とは関係がない話です。先月のことになりますが、京都の龍谷大学の博物館が私の実家の近くにあり、玄奘(げんじょう)という昔の中国の僧を取り上げた「三蔵法師 玄奘 迷い続けた人生の旅路」という展覧会がありましたので、行ってきました。龍谷大学は西本願寺が設けている大学で、仏教についての所蔵品をたくさん持っておられるようです。

玄奘は、西暦602年に唐に生まれた僧です。若いときから賢い人であったそうですが、仏教の原典を学ぶ必要があるという強い思いから、27歳のときに密出国をしてインドに行きます。16年もインドの寺や学校で仏教を学び、多くの仏典を持って、43歳で中国に帰ります。それからは仏典の翻訳をします。仏典はインドのサンスクリット語で書かれており、翻訳作業は大勢の僧侶でチームを組んで行ったそうですが、玄奘が62歳で死ぬときでも、まだ全部の翻訳は終わっていなかったといいます。

私は、展覧会のあと、若いときに買った岩波新書の「玄奘三蔵」(前嶋信次著)を改めて読みました。玄奘は、帰国したあと「大唐西域記」という旅行記を書いていますので、どんな旅行や勉学をしたかがわかります。西域やインドの地図が新書の末尾に載っていました。それと照らし合わせて長い旅の様子を知ることができました。

当時のインドでは仏教が盛んで、各地に寺があり多くの僧侶がいたそうです。しかし、その後廃墟になったところも多いようです。イスラム教が入り、つぶされた寺もあると書いています。また、玄奘はいわゆる大乗仏教を信ずるのですが、小乗仏教は誤りであるといって各地で論破したことなども紹介されています。

三蔵法師といえば、孫悟空が出てくる「西遊記」を思い起こされる方も多いと思います。西遊記は、玄奘がインドに行った時代から900年ほど後に中国で書かれた架空の小説です。玄奘の実際の旅行とは全然違う物語ですが、玄奘も経典を取りにいくという目的を達成するために、砂漠を超えて往復大変な旅行をするわけで、途中では何度も強盗に襲われたそうです。

玄奘がインドに行ったのは、日本では飛鳥時代ですが、仏典を直接読もうとした玄奘に対して、昔から日本でも関心は高かったようです。現在の中国や日本の経典は、玄奘が持ちかえったものが基になっているそうですから、関心が高いのも当然でしょうか。私は宗教のことはわかりませんが、玄奘という人の活躍には心が踊る思いがします。(松森 彬)