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「原爆の日」 21万人の市民が無差別兵器に殺されて71年目

昨日(8月6日)は広島に原子爆弾が投下されて71年目になる日でした。原子爆弾という無差別大量殺戮兵器が使われて、ふつうに生活をしていた一般市民が14万人も殺されました。9日には長崎で7万人の市民が殺されました。

広島第2中学校の生徒約300人は数日のうちに全員が亡くなったそうです。数日息があった子どもは、見舞いに来た友だちに「明日は水浴びに行こうや」といい、また、ある子どもは、亡くなるまぎわ、母親が「いっしょに行くからね」と思わず言うと、「あとからでいいよ」「お母ちゃんに会えたからいいよ」と答えたそうです。最近、遺族の手記を朗読した映画「いしぶみ」ができて、全国でいくつかの映画館で上映しているという新聞記事を読みました。

夜は、NHKの「決断なき原爆投下」という番組を見ました。アメリカの軍の責任者や陸軍長官の肉声のテープもあり、内容のあるものでした。

アメリカでは、終戦1か月前に原爆ができました。軍は原爆の威力を試したいと考え、京都が空襲をまだ受けていなかったので効果がわかりやすく、盆地であって効果がでやすいと考え、京都への投下を決めました。私は京都の投下予定地であった京都駅の近くで終戦から1年後に生まれました。もし、京都に原爆が落ちていれば、母も亡くなり、私は生まれていなかったと思います。当時、アメリカでも、原爆投下が無差別殺戮だとして批判を受けないかと心配する意見もあったそうで、軍は、京都駅や紡績工場を軍需施設だと虚偽の説明をして何度も承認をとろうとしました。ただ、陸軍長官(文民)であった人が戦前、京都に2度来たことがあり、承認しませんでした。そこで、軍は、今度は、広島の軍の施設を攻撃するとして大統領の承認をとろうとしたようです。番組は、トルーマン大統領は、女性、子どもへの攻撃を避けたいと考えており、広島への投下が市街地に投下することに気付いていなかった可能性があると報じていました。大統領は、街に何も無くなった広島の航空写真を見て驚いたようです。しかし、その数日後には、大統領は、原爆投下は、早く戦争を終わらせ、双方の国民がこれ以上被害を受けないために意味のあることだったという声明を出します。それがアメリカの世論になり、今も続いているようです。

事実が明らかになるのに71年もかかるのかと思い、暗然とします。しかし、それでも事実がわかることで、将来を考えることができます。NHKの番組は、アメリカでの最近の歴史学者らによる研究がもとになっているようです。学者や報道機関が事実を解明することで、原爆投下に至る真実、そこに見られる軍の暴走の危険、文民統制の必要などが明らかになったと思います。(弁護士松森 彬)