特別訴訟は、当事者の主張と証拠を制限し、一定の期間に審理を終わらせるという制度だ。書面は原則3通までで、証拠は「その場で調べることができるもの」に制限される。

 本来の訴訟では、当事者に主張と立証の権利が認められており、書面の数に制限はなく、審理を裁判官が打ち切ることができるのは「判決を出すのに熟したとき」のみである。当事者の主張や証拠を制限すれば、粗雑な判断(ラフジャスティス)になり、誤判が増える可能性がある。憲法32条の「裁判を受ける権利」を侵害すると言わざるを得ず、訴訟としての品質を伴わない制度だ。

 日本の民事裁判の期間は、世界銀行の調査などでも、先進国のなかで短い方だといわれている。特別訴訟制度は、争点が少ない事件や簡単な事件を想定しているとされるが、そのような事件は今の制度でも短期間で審理を終えることができる。

 この制度は、法制審議会に先立つ研究会で裁判所が昨年、突然提案したもので、具体的な研究論文や、外国の調査報告などはない。これでは、思いつきだろうと言われても仕方がないのではないか。

 そもそも、裁判の迅速化は、当事者の権利を制限することによってではなく、裁判官の増員や制度の整備などによって進めるべきだ。日本の人口当たりの裁判官数はドイツの11分の1、米国の4分の1と大変少ない。財政当局が、増員するなら給与水準を見直すように求め、最高裁も長年、増員を求めなかったことが背景にある。効率化や審理の切り捨てで迅速化を進めたため、今や一審の85%では、証人や当事者への尋問をせずに書面だけで済ませている。

 証拠の収集制度の整備が不十分なことも、裁判が長引く要因になっている。証拠の入手が早くできれば、争点が絞られて訴訟は早く進む。私が担当する製造物責任をめぐる裁判も重要な資料の収集ができないことが一因で、何年も続いている。

 国民が求めているのは公正、充実、かつ早い審理だ。「早い裁判をしてほしいのなら、主張と証拠を我慢せよ」という迅速化は、裁判の本質を忘れており、認められない。